先日、京都の『ユリーカ』で小西さんとお話している間、ふと大切なことを思い出しました。
若いころはもっと、写真集や映画や本にインスパイアされることを情熱的に求め、
自分の中の引き出しを積極的に増やそうとしてたな・・・と。
うちにはテレビがないので、その分つらつら本を読んだりDVDを見たりする時間は
けっこうあります。
けれどここ数年は意図的に写真に偏っていたので、映画や本は深追いしていませんでした。
アウトプットに集中したい時期だったのかもしれません。
私は今「デジタルはやらないんですか」「フィルムが無くなったらどうするんですか」と
繰り返し問われる立場にありますが、先日はギャラリストの福川さんからロジカルに問い詰められ、
いかに自分が感覚的にデジタルをスルーしようとしているかに気づかされました。
「職人技にこだわり過ぎると、表現者としての柔軟性が失われるのではないか」
それが福川さんの問いかけの核だったのではないかと思うんですが、
正直なところ、非常にショックな視点でした。
私は反省しなければいけないと思います。
これからもフィルムだけを使い続けるにしろ、その理由が単なるフィルム・クオリティへの
固執では、プロとして通用しないということですよね。
でも考えてみれば、映画の世界は写真よりも先にフィルムを失い、
私が敬愛してきた何人ものフィルム映画監督は、その喪失感を乗り越えてきたわけです。
それどころかゴダールなどは、誰よりも先にビデオへもちかえ、ドルビーサラウンドを取り入れ、
常に新しい何かに向かってアンテナをはり、世界を驚かせ続けてきた。
私の凡庸な迷いなど、歴史の上ではとっくに片付いていることなのかも知れませんよね。
というわけでここしばらくは、私が20代の頃に影響された映画監督が、デジタル化の波を
どう操つり制してきたのか、じっくり勉強してみようと思います。
- 2013/02/15(金) 10:39:18|
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